AIでの業務効率化が大好きな人間です。スライドの作成やエージェントでのソフトウェア開発など、タスクが降ってきたら、まずどうやってAIにやらせようかということを考えています。
そんな僕が、今日、あるタスクに、あえてAIを使わなかった理由を話したいと思います。
今日のタスクは来月に行うウェビナーの準備でした。北米の本社で行った新製品、Acquia Sourceの機能を日本の顧客に対して紹介するという内容のものです。当然、資料も日本語である必要があるため、今日は翻訳作業をしていました。
上に記載の通り、僕はAIの活用については非常に情熱を燃やしており、10分の手間を自動化するのに2時間楽しく残業できます(10分の作業を12回繰り返せば元は取れますし)。
Google Slidesで作られた資料の翻訳も、Geminiに翻訳用のGoogle Apps Scriptを作らせるか、パワポとしてダウンロードしてClaude Codeで翻訳させるか。AIに依頼して少し待てば完成する方法は、いくつも思いつきました。
しかし、提供された原文のスライドと録画されたウェビナーの映像を観て思いました。製品の新機能もウェビナーの内容も素晴らしい。だからこそ、ただ話すだけではなく、これを理解して、自分の知識としたい。そして、自分がウェビナーや商談を通じて話すお客様やパートナー様に対して、自分の言葉でこの製品の価値を語れるようになりたい、と。
スライドを右から左に英語から日本語にするのは一瞬でできる。しかし、僕はブラウザタブに表示されたGeminiの画面を閉じて、スライドと向き合い、そこにある英文を一つずつ日本語にするためにキーボードを叩き続けました。そこにある意味と価値を理解し、自分の目の前にいる顧客に語りかけるように言葉を選びながら。
日本には写経という文化があります。大昔に写本が必要だった時代に始まったものですが、今でも趣味や仏道における修行の一環として行う人が多くいます。亡くなった私の祖父も大きな屏風に写経をするのが趣味で、葬儀の時にもそれが飾られていたのを覚えています。
仏典すら書店で、なんならオンラインですぐに手に入る時代に、なぜあえて手で書き写すのか。それは、自分の目で読み、理解し、書き写すことで、仏の教えを深く理解するためです。
エンジニアで、コードを書いたことがある人も共感できると思います。教本に書いてあるコードを自分で打ち込んで動かしたり、コピペできるサンプルコードを自分で手打ちした経験があるのではないでしょうか?こうした学習方法も、日本では写経と呼ばれています。
何が言いたいのかというと、仏典やソースコードを自分の目で読み、学び、書き写すという行為により、文脈をより深く理解し、自分の知識とすることができるということです。
AIに質問すれば大抵のことは教えてもらえます。AIエージェントが自律的に行えるタスクも激増しています。そんな時代でも、自分の頭に知識を入れたり、心の中に想いを感じることは、AIにはまだできません。(脳にチップ埋め込んだりすればできるかもしれませんが、、、)
この世の膨大な知識を全て自分が記憶しておく必要はないと思います。ただ、自分にとって大事と感じたものは自分の頭と心の中に、記憶しておくということを選べる、というのを忘れないようにしたいですね。
後日談
認めましょう。妥協しました。一文ずつ手打ちで翻訳するのは時間がかかりすぎて、スライド数枚で諦めてしまいました。忸怩たる想いです。
代わりにと言ってはなんですが、せめてと思い、1ページずつスライド内のテキストをGeminiにコピペして、翻訳された文章を原文と差し替えるという作業をすることにしました。
これを写経と呼んだら罰が当たりそうですが、一応、自分の手を動かしたので、理解は深まりました。(コピペですけどね、、、)
スライドの文章を一行も読まずに全ページ翻訳する方法だってあるんです。しかし、そうせずにあえてコピペをして、このプレゼンテーションに対する理解を深めるということに、僕は価値を見出したわけです。
AIの活用と知識の習得、どちらもバランスよく、選択できるという意識を持つ、ということも大事ですね。