iPhoneの「あの頃の思い出」に、コペンハーゲンの街並みが出てきました。
数年前、Monsidoという製品がAcquiaのファミリーに加わり、プリセールスエンジニア向けの製品研修でコペンハーゲンに行く機会がありました。研修で製品チームと直接顔を合わせたとき、思わず聞いてみたのです。「これ、日本語にできませんか? もう英語もデンマーク語もフランス語も対応してるじゃないですか」と。あの直談判が、すべての始まりでした。
海外製品を日本で売る仕事をしていると、よく聞かれます。「翻訳が大変でしょう?」と。
大変です。でも、翻訳は仕事のほんの一部でしかありません。
たとえば、本社が用意したデモのシナリオには、ロールプレイやストーリーテリングが多用されています。「あなたはマーケティング担当者のサラです。今日はキャンペーンを立ち上げましょう」——こういうシナリオは、英語圏では自然でも、日本のお客様の前でそのまま使うと、空気が凍ります。
必要なのは、翻訳ではなく再構築です。
日本のお客様が聞きたいのは、物語ではなく「で、うちの場合はどうなるの?」です。実際のユースケースに落とし込んで、「御社のこのケースなら、こう使えます」と見せて初めて、製品の価値が伝わります。
しかも、デモ画面に一文字でも英語のテキストが残っていると、「これ、海外向けの製品ですよね?」と言われてしまう。その一言で、それまでの説明が全部リセットされる感覚は、何度経験しても堪えます。
入社して間もない頃、ある大手企業への提案で、製品の導入ステップを5枚のスライドで紙芝居のように説明する資料を作りました。自分では丁寧に作ったつもりでしたが、先輩に見せたら一言。「これ、1枚にまとめられるよね。」
日本のお客様が求めているのは、1ページで全体像がわかる資料でした。ステップごとに丁寧に説明するよりも、全体の流れが一目で見える方が刺さる。5枚の紙芝居を1枚の俯瞰図に作り直したとき、「ああ、これは翻訳じゃないな」と実感しました。
ないものは、一から作るしかありません。製品の管理画面を上から下まで全て触り、機能一覧の資料を自分で作ったこともあります。なぜか、グローバルのチームも持っていなかった。日本語で作ったその資料を英訳して共有したら、本社に喜ばれました。
ローカライズが、逆輸出されたのです。
コペンハーゲンの話に戻ります。
あの研修で直談判が通り、Monsidoの製品UIの日本語化を進めることになりました。正直、自分一人でやろうかとも思いました。でも、思い切って日本チームの全員に声をかけてみたのです。
すると、みんなが手を挙げてくれました。
一人で全部やろうとしなくてよかった、と心から思いました。翻訳の品質だけでなく、チーム全員が製品に対するオーナーシップを持てたことが、何よりも大きかった。
最初のデモは前日にアポイントが入り、急いで準備を始めたら環境が動かない。深夜にアメリカの同僚が助けてくれて、なんとか復旧。でも本番当日、今度はインターネットが繋がらず、結局デモはできませんでした。大阪駅の通路に座り込んで提案書を書いたこともあります。しかも、失注しました。
そんな場数を踏む中で、一つだけ確信したことがあります。
ライブデモの準備と一緒に、録画とスクリーンキャプチャを必ず用意しておくこと——ではなく(それも大事ですが)、ないものは作るということ。ちょっとした図を書く手間を惜しまないこと。細部にこだわること。
セミナーやウェビナーで「資料ください」と言っていただけると、とても嬉しいです。自分が手間をかけて作った資料が、いろいろな場所で使われていく。一つの資料が、何度も、別の場所で価値を生む。それは、単なる翻訳からは生まれないものだと思っています。
ローカライズとは、製品を「自分たちのもの」にする作業です。言葉を置き換えることではなく、文化ごと届け直すこと。
iPhoneに出てきたコペンハーゲンの写真を見ながら、そんなことを思い出していました。